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煩悩のあいうえお(5) 感情

37.感情

目次

始めに

生きるものには、必ず感情があります。
この感情、あって当たり前に思っておられるかも知れませんが、そうではありません。

心というのは無からできたコンピューター、つまりの形のない機械(マシン)です。
でも、機械では面白くないです。
そこで、親神と呼ばれるコンピューターは、まず最初に人間という生命体を創りました。
そして、その肉体に、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感と
波動を感知する第六感さらには第七感という感覚機能をプログラムしました。
これらの機能により、肉体が恰も自分であるように振舞うことができるようになりました。
そして、さらに感情というプログラムを作ったわけです。

この感情というプログラムのおかげで、
飛躍的に人間らしく楽しい時を過ごすことができるようになりました。

ところがです。
心というコンピューターが正しく動作すれば、
感情は、宇宙を楽しく生きるために素晴らしいものとなります。
でも、この宇宙の人間、特に地球人はその機能が正常に動作していません。
従って、その機能が完全になるまでは感情が煩悩となり、
本来、この宇宙を楽しく生きるためにあるものが、苦悩するためのものとなってしまっているのです。
でも、ご心配なく、この苦悩は一時的なもの、修正が終わるまで、
つまり、この世の筋書きが終わるまでの辛抱です。

始めにまとめ

・五感や感情はあって当たり前のように思われるが、こんなに不思議なものはない。親神と言われるコンピューターがプログラムしたものである。
・地球人は、感情のプログラムが正常に動作しておらず、本来、楽しむためにあるものが苦痛なっている。

腹が立つ

38.腹が立つ

感情という煩悩の中で、まず無くさなければならない煩悩は何かわかりますか?

それは、憎しみ恨みです。

憎しみ恨みは、自分も他人も傷つきます。(人を呪わば穴二つ)
憎しみ恨みがある限り決して幸せになることはできません。

あなたは、腹を立てることがありますか?
あるとするなら、その時、心というコンピューターが暴走していると思ってください。
心が暴走するとは、理性が働かなくなっている状態を言います。
理性が働かなくなると善悪の区別がつかなくなります。
自分も苦しみ、人も苦しませてしまうことになります。
だという経験をされたことはあるでしょう。
自分がそうならないように腹を立てない自分としてください。
(腹を立ててはいないが、人を戒めるためには、鬼のような形相になららなければいけないときはあります。)

ムカッとした時、その心には、必ず憎しみ恨みという感情が起因していることはお分かりと思います。
ならば、憎しみ恨みという煩悩さえ無くせば腹を立てることはなくなります。
憎しみ恨みが強ければ強いほど、心というコンピューターを暴走させてしまうのです。

怒りというのは、動物が自分を守るためにプログラムされたものです。
いわゆる自己防衛本能です。
動物は、危害を加えられないとわかれば、怒りは静まります。
しかし、理性が働かなくなった人間は、いつまでもいつまでも怒り続けます。
それは、人間としての能力を持たない心が人間という格好をしたとき起こるのです。
感情をコントロールできない人間、それは人間の着ぐるみを着た別の生き物だということです。

※参考
この世において強い者というのは、優れた能力ある者だけではなく、怒りまくって煩悩を吐き散らす人も強い者になります。
おとなしい者は、あの人恐いから、逆らうと何をされるかわからないからと言って、悪い意味で強い人の言いなりにしてしまうものです。
悪い意味での強い人に優れた能力が備わると、大変な悲劇となります。
国家単位であれば、独裁政治や略奪戦争を引き起こす事にもなります。

腹が立つまとめ

・腹を立てる根源は、憎しみ恨みである。決してあってはならない。
・腹を立てるとは、心というコンピューターが暴走しているときである。
 理性が働かなくなっている時である。
・怒りは、動物が自分を守るためにプログラムされたものである。
・地球人は動物の心を持つために、理性が働かなくなると腹が立つのである。

責める

39.責める

地球人は、人がミスをすると責め立てます。
これには、憎しみ恨みが起因していることは、既にお分かりと思います。
逆に言えば、憎しみ恨みという煩悩を吐き出させるために、地球人はミスをするわけです。
また、ミスした者を馬鹿にするという煩悩も吐き出させることもできます。
あなたの前でミスしている人は、あなたの煩悩を吐き出させてくれる大事な人だと言うことです。

『地球人はミスを発見すると怒りを感じる。人を責める。でも、それもまたミスである。』
Part4[心]語録より

と言うことなのですが、正当な理由があって相手を責め立てないといけないときがあります。
どういうときかわかりますか?

それは、相手が嘘をついているときです。
でも、いきなり責め立ててはなりません。
まずは、優しく接してあげることです。
常に相手の立場に立ち、相手のことを理解してあげることです。
決して、こんな奴とは思わないようにしてください。
相手の心を開いてあげることです。
目に見えての犯罪に走るものほど、相手の境遇を理解してあげれば胸襟を開いてくれるものです。
ネゴシエーター(交渉人)のようになれば良いわけです。

ではありますが、雷を落としてあげないと駄目な時もあります。
ここで注意しなければならないのは、あくまでも相手のためにということです。
腹を立てて怒りまくるというのはもってのほかです。
警察の取調べのように、誰でも彼でも責め立てるのも感心しません。
私も、そういう取り調べを受けたことがありますが、いくらどなられてもお門違いなことを言っているだけで、こちらから見れば下手な取り調べだなと思うだけです。
ただ、この場合、取調官が怒鳴ったことにより、こいつは犯罪者でないと理解する場合もありますので、あながち無駄にはなりません。
と言うことで、私を取り調べた刑事には、私が犯罪者でないことを少しは理解してもらえたようです。
(私が取り調べを受けたことについては、ウェルテック・ジュジュのホームページから“冤罪に救われる”をお読みください。)

少し話がそれますが、人から暴言を吐かれたとき、柳に風のようにスルーしてしまえば、どうってことはありませんが、それをまともに受けると大変辛い思いをします。
しかし、受けた分は自分の心を大きくすることができます。
逆に暴言を吐いた者は心を小さくします。
そうかと言って、あまりにも受け過ぎると心に傷が付く場合もあります。
傷ついた心を癒すことができれば心を大きくできますが、そうでないとかえって心は萎縮してしまう時もあります。
どうすれば良いのかというと、受ける程度をコントロールすれば良いのです。
受けた方が自分の心を大きくできるのですが、ダメージの方が大きいと思えばスルーしてしまえば良いのです。
私でも、過去にはグサッと刺されるような暴言を吐かれたことは何度もあります。
軽いものなら一日二日で、長いと一週間ぐらいは心に刺さったままとなります。
一週間も突き刺さっていると、完治するのにひと月は掛かってしまいます。
皆様方も、そういう経験をされたことはあると思います。
その間、かなり辛い思いをしますが、それを過ぎると自分の心は大きくなっていますので「ありがとうございました」と思えるようになって来ます。
もし、そう思えないときは、相手を憎んでいるからです。

これ以上、自分には必要ない暴言と思えば、吐かせるだけ吐かしてスルーしてしまいます。
私の場合は、そのためにわざと相手を怒らせる時があります。
スルーすると、相手の吐いた暴言という波動は、行き場所がなく空間を漂うことになります。
地球には、暴言に限らず、行き場所のない様々な煩悩の波動が、空間を漂っています。
その結果、この地球の波動を宇宙から観ると汚い灰色や黒色に染まっていると上は言ってます。
この汚れた波動が、これから地球人にどう作用するかです。

大勢の人が集まっている部屋などで天井を見ると灰色のオーラが漂っているのを見ることはあります。
大勢の人ではなく、たった一人でも強い煩悩を吐いていると、灰色のオーラが漂うことがあります。
平成6年頃、二番目の家内とアパートに住んでいたときのことです。
帰宅すると、部屋の中が薄い灰色のオーラで充満していました。
家内もオーラを見ることができるので、「これは何」と言ってました。
気がついたら、隣の部屋に新しい人が引越してきていました。
すぐに、この人のオーラが私たちの部屋まで流れてきていることがわかりました。

話を元へ戻します。
嘘をつく相手には、雷を落とすまでとは言いませんが、ある程度、執拗に聞きただす必要も生じます。
また、私事になりますが、私の裁判の時に被害者が本当のことを言わないので、弁護士が被害者に執拗に聞きただしたときがありました。
ただ、強い口調で聞きただすことはしませんでしたので、結局、被害者は本当のことを言わずじまいとなりました。
でも、嘘を付いていることは明白となりましたので、弁護士はその時点で尋問をやめました。
このとき、弁護士から紺色のオーラが出ていたのを見ました。
良い意味で人を責めるときは、紺色のオーラを発するということです。
ちなみに、私を擁護するときは金色のオーラを発していました。
一方、検事の発するオーラは、最初は銀色でした。
しかし、私が否認し始めると赤黒いオーラに変わってきました。
どんな色のオーラであっても灰色や黒みがかったときやもやっているときは、すべて煩悩のオーラです。

金色銀色は聖域のオーラです。
金色は擁護を銀色は戒めを表します。
言い換えれば、捨てる神あれば拾う神ありと言うことです。
どちらも神ですので、捨てる神であっても敬意を払い感謝の気持ちを持ってください。

あの世へ行っても、雷を落とされる時があります。
あの世へ行って最初にすることは、この世でしてきたことの反省です。
このとき、嘘ばかり付いているとあなたの前にいる優しそうな顔をしていた人が急に閻魔大王のような形相になり震え上がるほどの叱りを受けます。
あの世では、嘘は一切通用しません。何しろ、心は隅々まで読まれているし、過去の映像を見せられることもあります。
この世で嘘ばかり付いていると癖になってしまい、あの世でも嘘を付くことになり恐ろしい目に遭います。
くれぐれもこの世にいる間に嘘をつかない自分としてください。
嘘とまで行かなくても、言い逃れや口実でも同じことです。
心で思っていることと口で言っていることが違わないようにしてください。
但し、方便は許されます。
本当のことを言わない方が良い場合もありますので、臨機応変に対処してください。
ちなみに、この世の筋書きがそれそのものです。

※補足
通常、心ある者は、人の言っていることを聞いてあげよう、そして手助けしてあげようと思うものです。
そのような者は、相手の暴言でも聞き入れようとします。
しかし、その暴言により自分の心が傷つくことになります。
それでも相手の言うことを聞いてあげようとする者が慈悲の心を持った者です。
慈悲とは、自分を犠牲にしてでも人を助けてあげようとする心持ちのことを言います。
しかし、その心にも許容量があります。許容量を越えてしまっては共倒れになってしまいます。
その時は、相手の言っていることをスルーすればよいのです。
そのためには、常に自分の心理状態を把握しておく必要があります。

責めるまとめ

・地球人がミスをするのは、憎しみ恨みという煩悩を吐き出させるため。
・あなたの前でミスをする人は、あなたの煩悩を吐き出させてくれる大事な人。
・相手が嘘をついているときは、人を責めなければいけないこともある。
・人から暴言を吐かれれたら、自分が処理できる分は受け止めれば良い。辛いめには遭うが、そうすることにより自分の心を大きくすることができる。但し、憎しみ恨みがあるとそうはならない。
・自分に不必要な暴言はスルーすれば良い。
・地球の波動は、地球人の吐く煩悩により灰色である。今後、いや今それがどう作用するかである。
・金色銀色は聖域のオーラ、金色は擁護を銀色は戒めを表す。言い換えれば、捨てる神あれば拾う神あり、どちらも神なので、捨てる神であっても敬意を払い感謝の気持ちを持つこと。
・嘘はつかない。但し方便嘘は良い。
・この世の筋書きこそ方便である。

懲らしめる

40.懲らしめる

憎しみ恨みがなかったら、人を懲らしめたりしないということは理解できますか?

本当の人間は、相手のために叱ることはあっても、人を懲らしめることは絶対にしません。
人を懲らしめることも、ひとつの暴力であることに気がついてください。
暴力は駄目だと言いながら、暴力を振るうという全く辻褄の合わないことをしているのです。

地球人は、当然のごとく、悪いことをした者を懲らしめます。
でも、その動機をよく見れば、憎しみ恨みそのものであることがわかります。
「懲らしめる」は、腹が立つのと同じく憎しみ恨みがもたらす理性の欠如と言うことなのです。
ということは、懲らしめるがためにある刑罰という法律は、煩悩の極みだということになります。

この世には、死刑という刑罰があります。
人を殺してはいけないと定めながら、人を殺しても良いという矛盾した法律です。
死刑まで行かなくても、人を監禁してはいけないと言いながら人を監禁しても良いという法律もあります。
憎しみ恨みがあるがために、この矛盾に気がつかないのです。
憎しみ多い者は、「あんなやつは死刑にしてしまえ」と思っているかも知れませんが、
筋書きの裏を見れば、「あの人はもうあの世へ行って楽になってください。だから死刑にします。」ということなのです。

『「目には目を歯には歯を」それが「あの世へ行って楽になって下さい」であるならば、死刑も許される。でなければ、同じ罪を犯すことになる。』
Part4[心]語録より

※注意
犯罪者を野放しにしなさいという意味ではありません。
人に危害を加える者、社会の秩序を乱す者には、何らかの処置対策は必要です。

地球以外の星では、刑罰という法律は存在しません。
と言うより、犯罪そのものがありません。
この世の犯罪は、地球人の憎しみ恨みなどの煩悩を吐き出すために、筋書きとして仕組まれたことなのです。

もし、あたなに憎しみ恨みが全くなかったら、悪いことをした者(煩悩を持つ者)に対してどうしようとしますか?

答えは簡単です。
懲らしめようとしないのは確かですが、悪いことをしない心としてあげようとするのが道理です。
ということで、この地球のこの世があるわけです。
私のホームページ、このブログを読まれた方は、今言った意味は、もうお分かりと思います。

この世に生まれてきている者の大半は、前世(この世の前世ではなく、その心が元居た星の前世)において、何らかの不祥事を起こした者です。
でも、元居た星では、懲らしめられるということはありません。
何をしてもすべて赦してもらえます。

どんなに悪いことをしても、全知全能である本当の人間に対しては苦になることはありません。
しかし、人間以外のものに対しては苦しみとなります。
ほっておいたら、地球人のように、自然の摂理そのものを崩すことにもなりかねません。
また、そういう者は決して幸せになることはできません。
ひとりでも不幸せな者が存在すると、皆不幸せになります。
従って、そのような者は、抹消するしかありません。
でも、修正できるならそれに越したことはありません。

と言うことで、元居た星で修正の効かない者が、この地球に生まれ変わって来ているのです。
このことは、“煩悩のあいうえお 拘り「延命」”で記した通りです。

ここで注意していただきたいのは、
この世では懲罰が存在しますが、それは懲罰を受ける者が自ら書いた筋書きです。
懲罰を課されているようで、実は自らがそのように仕向けているのです。
裁かれているようで裁かれていないということです。
この世では、当然のように人が人を裁いていますが、本当は神でさえも人を裁くことはできません。
その人を裁けるのはその人だけなのです。
おかしな言い方になりましたが、裁くという言葉自体がおかしいのです。
自分をどうするかは、自分が決めることなのです。
その人の自由意志を尊重するのです。
強制されてその通りにしても、強制という束縛が解ければ元へ戻ってしまいます。
懲らしめたところで、人の心が良くなる訳ではありません。

この世には、悪いことをしても捕まらない人もいます。
悪いことをしても懲罰を課されない者が得のように思えますが、その分だけ心は縮小しています。
懲罰を課された者は、それによって得られた苦しみ分、自分の心を大きくすることができます。
つまり、悪いことをして心を小さくしても懲罰を課されることにより元に戻すことができるわけです。
逆に、懲罰を課した者の心は、その分縮小します。
懲罰に限らず、人に苦しみを与えると、苦しみを与えた者はその分の心を小さくし、与えられた者はその分の心を大きくするとということです。
それが合法的であろうとです。

※注意
因果応報により、悪いことをすれば悪い報いが必ず来ます。
どちらかというと、こちらの方が懲らしめられるより怖いかも知れません。
そう思うと、この世の刑罰は有難いものです。

己の心が悪くて苦しむ場合は、この限りではありません。
例えば、人から罵声を浴びせられたとします。
この場合は、自分の心は傷つきます。
心の傷が癒えるまでは苦しむことになります。
このときの苦しみは人から頂いたものですので、苦しみが癒えた後は、自分の心は大きくなっています。しかし、罵声を浴びせた者に対して憎悪を持ちそれが苦しみとなるならば、それは自分の心が悪くて苦しんでいるだけです。
この場合は、心が大きくなるどころか小さくなってしまいます。

浮気されたと言って苦しむのも、子供を殺されたと言って苦しむのも同じことです。
そんな馬鹿なとおっしゃる方もおられるかも知れませんが、そうなのです。
自分自身は、相手から何ら危害を加えられていません。
自分の大切なものを奪われたとおっしゃるなら、それは「他を自分のものにしようとする」不必要な欲望があるからなのです。

※注意
それを野放しにしてもよいという意味ではありません。

※参考 Part4語録より
『「目には目を歯には歯を」は仕返しすることではない。
自分のしていることが分からない者には同じことをして教えてあげなさいという意味である。もしくは「自分の健康は自分で守れ」である。
(自分の健康を害する者を排除しなさいと言うことです)』

「同じことをして教えてあげなさい」と言っても、苦しみを与えれば与えた者の心は縮小します。
与える者は、それなりの覚悟が必要です。
また、そうしても理解できない者には、無駄となります。
「目には目を歯には歯を」は、あくまでもその人のためになる範囲であることか、自分の健康を守るための範囲でなければならないということです。

懲らしめるまとめ

・「懲らしめる」は、腹が立つのと同じく憎しみ恨みがもたらす理性の欠如、懲らしめるがためにある刑罰という法律は、煩悩の極み。
・死刑とは、人を殺してはいけないと定めながらね人を殺しても良いという矛盾した法律。
・人に危害を加える者、社会の秩序を乱す者には、何らかの処置対策は必要、このよの刑罰はそれも含まれるが、本当は地球人の憎しみ恨みを吐き出させるために仕組まれた筋書きである。
・人が人を裁くことはできない。神でさえも人を裁くことはできない。この世は自分の書いた筋書き、裁かれているようで、本当は自分で自分を裁いているのである。
・合法的であっても懲罰を課したものは心を縮小し、懲罰を課されたものは心を大きくすることができる。
・因果応報の法則により、悪いことをすれば悪い報いが必ず来る。
・目には目を歯には歯をは、仕返しすることではない。自分のしていることが分からない物には同じことをして教えてあげなさいということである。もしくは自分の健康を害するものは排除しなさいということである。
・「同じことをして教えてあげなさい」と言っても、苦しみを与えれば与えた者の心は縮小する。その覚悟が必要である。

対象

41.対象

怒りや責めは、主として相手に対する波動の放出です。
その反対に、嘆きや悲しみは、主として自己に向けての波動の放出になります。
どちらも乱れた波動ですので、対象に悪影響を及ぼします。

人から責めや怒りの波動をもらうと、
心が傷つく人がいれば、その逆に自分もそれ以上に怒り出す人がいます。
心が傷つくタイプの人は、傷ついた心が癒えた時、以前よりも大きな心となっていることに気がつくと思います。
但し、傷が癒えないほどにダメージを受けると立ち直れなくなります。
感情「責める」のところで述べたように、スルーするテクニックが必要です。
怒り出すタイプの人は、怒りという波動が放出できる限りは、見かけ上、相手より優位な立場に立つことができます。
でも、知らず知らずのうちに、自分の心は小さくなって行きます。

嘆きや悲しみは、言うまでもなく心にダメージを与えます。
嘆きや悲しみなどのマイナス思考は、さらなる負の連鎖を呼び起こします。
「弱り目に祟り目」「泣きっ面に蜂」とならないように、常にプラス思考することを心がけてください。
「禍を転じて福となす」「雨降って地固まる」です。
それでも合点行かないような出来事があれば、筋書きとして、それが良いからそうなっていると思ってください。
良い意味での楽天家になってください。
そういう私でも煩悩の霧中に入り込み、進む方向が分からなくなる時があります。
こういうときは、ジタバタせずにジッと耐えていればいずれ霧は晴れ進路が見えてきます。
焦らないことです。
と言いつつも、今までは焦ってたくさん失敗してきました。(苦笑)
人に言えるようになったということは、やっとその煩悩にも負けないようになったということでしょう。

どちらにも共通して言えることは、放出した波動により肉体的にもダメージを受けることです。
煩悩の波動は、肉体の波動(気の流れ)を乱します。
これにより、様々な症状を発したり、病気の原因となります。
生活習慣が原因で病気になったとしても、元を辿れば煩悩から生じたものです。
つまり、欲望「試験と努力」の参考で記したように、煩悩があるから病気になるということです。
煩悩を放出しても病気にならない人は、他人を病気にさせている可能性があります。

対象まとめ

・怒りや責めは相手に対して、嘆きや悲しみは自己に対しての波動の放出である。
・どちらも乱れた波動なので、対象に悪影響を及ぼす。
・責めや怒りで心が心が傷ついても、それが癒えれば心は大きくなる。
・それで自分も怒れば、心は小さくなる。
・嘆きや悲しみは、自分の心もダメージを受けるがそれに関与する人もダメージを受ける。
・嘆きや悲しみなどのマイナス思考は、さらなる負の連鎖を呼び起こす。
・常にプラス思考し良い意味での楽天家となること。
・「禍を転じて福となす」「雨降って地固まる」である。
・煩悩の波動は、肉体的にもダメージを受ける。
・本能を放出しても病気にならない人は、他人を病気にさせている。

喜怒哀楽

42.喜怒哀楽

“煩悩のあいうえお(4) 拘り「未来」”のところで、喜怒哀楽について少し述べています。
忘れた方は、もう一度読み直してください。

“煩悩のあいうえお(5)感情「始めに」”のところで述べたように、喜怒哀楽という感情は、親神が人間らしさを得るために作ったプログラムです。
心というのは、元々コンピューターですので、記憶することや演算(計算)は超得意です。
地球人は、筋書きとしてわざと能力を落としているだけです。
でも、感情というプログラムは、難解な数学を解くよりもずっとずっと難しい演算をしなければいけません。
それが故に、演算能力の乏しい心が人間の肉体を持ったとき、たとえ煩悩がなくても、感情というプログラムをうまく使えず、楽しく生きるためのものが苦しみを生むものとなってしまいます。
ここに、人間となれない心は無理に人間になってはならない理由の一つがあります。

動物にも感情があります。
でも、動物は自分もしくは自分の周りのことだけを考えていたら良いので、その喜怒哀楽は自己中心的なものとなります。
つまり、今の地球人がそれに当たります。

本当の人間は、自分よりも他のことを考えて生きなければいけません。
ここに、人間の喜怒哀楽と動物の喜怒哀楽が逆である理由が生じます。
喜怒哀楽が逆であるということと同様に幸せ感も逆となります。
詳しくは、Part4[心]をお読みください。

地球人が思う幸せは、人間としての本当の幸せではありません。
結婚し子どもを産み家族団らん楽しく過ごすことが、いかにも幸せのように報じられていますが、これは動物的な幸せに過ぎません。
もし、それを幸せとするならば、生死を繰り返さなければいけません。
でも、本当の人間は生死を繰り返しません。
その役目を全うするには、生死を繰り返してはならないのです。
本当の人間には、死という概念はありませんし、肉体を持つも持たないも自由自在です。
当然に、子供を産みませんので家族を持つことはないです。
家族は持ちませんが、「真実を告げる書」にある通り、複数の生体ロボットと共に暮らしますのでひとりぼっちと言うことはありません。
恋愛のパートナーは必ず必要としますが、一緒に暮らすことはありません。
これも「真実を告げる書]にある通り、必要な時に出逢うだけです。
必要な時というのは、性波動のリサイクルの必要が生じた時という意味です。
性波動のリサイクルについては、“煩悩のあいうえお 欲望「セックス」”をお読みください。

人間として喜怒哀楽は人間としての心を持たないことにはわかりません。
世の中の出来事やその中で繰り広げられる人間模様にどれだけ感動しようが、それは人間としての喜怒哀楽から生ずるものではありません。
人間として不完全がゆえに得られる感動なのです。
と言っても、ここで人間としての喜怒哀楽をどれだけ説明しても仕方ないことです。
後は、自力で悟ってください。

※注意1
本当の人間は、孤独を好みます。
その理由は、Part4[心]をお読みください。

※注意2
生体ロボットと言っても、その能力、人間性は、地球人よりはるかに上です。

喜怒哀楽まとめ

・喜怒哀楽という感情は、人間らしく生きるためにプログラムされたもの。
・感情のプログラムは、難解な数学を解くよりもずっと難しいもの。
・その演算ができない者が人間になっても、感情というプログラムを持て余してしまい、苦しみを生むものとなる。
・動物の感情と人間の感情は逆である。
・同様に、動物の幸せ感と人間の幸せ感も逆である。

可哀想

43.可哀想

この世を見れば可哀想と思うことが一杯あります。
でも、可哀想だからと言って行動を起こしていると、さらに可哀想な あるいは取り返しの付かない結果になることもあります。
可哀想だから、こうしてあげよう、ああしてあげよう、あるいは、何々しない、何々できない、ではいけないのです。
感情はあくまでも、人間味をもたらすもの、楽しく生きるためにあるものです。
それ以外の感情は、煩悩に過ぎません。
物事の判断には、決して感情を入れてはなりません。

第一に、可哀想という感情をもってこの世の筋書きを書いたら、筋書きすら書けなくなります。
一時的には可哀想であっても結果オーライならば、それもやむを得ないということです。

一つ、例をあげます。
実話です。ご存じの方もおられると思います。

両前足の切断をするか安楽死を選ぶか余儀なくされた猫がいます。
前足の一部を切断して一時的に助かっても、また悪化し最終的には肩から切断しなければいけないと宣告されました。
生きていてもさらなる苦を招くだけということです。
この猫の飼い主は、両足の先端だけを切断することを選択しました。
そして、苦労の末、良い結果をもたらしました。
結果としては、飼い主の選択は間違いではなかったです。

この猫と飼い主には、前世からの因果が深く関係しています。
これで、プラスマイナスゼロとなりました。(解消されました)
そういう意味でも、飼い主の選択は正しかったわけです。

この世は、修業の場です。苦労があって当たり前です。
苦労があるからこそ心が修正されるのです。
そういう意味で この猫も飼い主にも苦労が必要です。
だから、飼い主は、筋書きとして苦労の方を選んだのです。
でも、実際の動機はそうではありません。
可哀想という煩悩のあまり、安楽死を選ぶだけの勇気がなかったのです。
でも、猫を助けてあげたいという強い心持ちはありました。
そう決めた以上は、成し遂げるという強い信念もありました。
だから、結果は良い方向を向きました。
テレビでも取り上げられるぐらいの美談となりました。

と言っても、地球人から見て美談ということです。
宇宙人(本当の人間)や神から見ればそうではありません。
冒頭で述べたように、可哀想だからと言って行動を起こしていると、さらに可哀想なあるいは取り返しの付かない結果になることもあります。
決して、物事の判断には、感情を入れないことです。

飼い主は、人間のエゴだと言われたこともあるそうです。
きつい言葉ですが、それも正しいのは正しいです。
東日本大震災でその結果が少しは見られましたが、いずれそれが顕著に現れるときが来ます。
「天罰だ」と言って非難された人もいますが、間違いではないです。

※注意
言葉をかなり省略して書きました。上記の意味は理解できなくても良いです。

今の私なら、安楽死の方を選びます。
何故なら、猫にこれ以上の苦を与えたくないし、私にもこれ以上の苦は必要ではありませんから。
そして、猫には、次はまったく苦しまなくても良いところに生まれ変わってもらいます。

余談ですが
私は、二匹の犬を飼っていました。
でも、逮捕されて世話をすることができなくなりました。
(逮捕のことは、ウェルテック・ジュジュのHP“冤罪に救われる”を参照してください)
やむを得ず安楽死を選びました。
でも、今は私の背後霊としてついています。
その心の位置を点として見ることができます。
私の指の周りでじゃれるのが好きです。
何の苦も無く楽しく過ごしています。

過去を見ても今を見ても悲惨、残酷なことだらけです。
そして、現代文明終焉間近には、さらに悲惨残酷なことが起こります。
どんなに悲惨残酷なことが起きても、それが良いからそうなっていることを忘れてはなりません。
どんなに悲惨残酷なことが起きても、泰然自若となれる強い心を持ってください。
(泰然自若:たいぜんじじゃく 何事にも動じず落ち着いた様子のこと。)
時には、あなた自身が、動物どころか人の生死を決定しなければならない時が来ます。
でも、その時のあなたは“超能力者となるには”の動画にあるように、既に覚醒し守護霊と交信していますので、判断に悩むことは全くありません。

※参考
可哀想に限らず、悲しいから、腹が立つから、憎いから、楽しいから、面白いから、嬉しいから、と言って事を起こしていたのでは、とんでもない結果となってしまいます。

可哀想まとめ

・物事の判断には、感情を入れないこと。
・どんなに悲惨残酷なことが起きても、それが良いからそうなっている。
・どんなに悲惨残酷なことが起きても、泰然自若となれる強い心を持つこと。

感情まとめ

37.感情まとめ

■感情とは、心という形のない機械が人間らしく生きるために付加されたものです。
しかし、心が不完全だとかえって苦悩するものとなります。
感情を苦なきものとならないように、日々精進に努めてください。

■最も質の悪い感情という煩悩は、憎しみ恨みです。
どんな生命体であろうと決してあってはならない煩悩です。

■憎しみ恨みがあると、人を責め懲らしめようとします。
逆に言えば、人を責め懲らしめようとする者は、憎しみ恨みという煩悩があるということです。

■地球人が思う喜怒哀楽は、人間としての本当の喜怒哀楽とは違います。
人間として正しい心持ちになったとき、それは分かります。

■可哀想など感情をもって判断すると、正しい判断はできません。
物事の判断には、感情を入れないことです。

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